【 エッセイ 02 】






■ 敗れざるもの ■


敗れざるもの ・・・ は、過去の映画の題名で、人間の生命力を示す
良い意味に使われていましたが、
今から書こうとしているのは、実は、「 論破出来ぬ人々 」 のお話。
わたしには、絶対に論破叶う事の無い人々です。

論破出来ないタイプっていうものも、厳然として存在するんだとは、
最近、しみじみ思い知りましたね 〜〜。

通常、論破って、コチラの言い分に矛盾の無い事を証明するか、
相手の言い条に反証を挙げる事によって、達成出来る ・・・
筈 ・・・ でしたよねぇ?

でもね、彼らに対しては、そんなことは未来永劫叶う道理が
ありません。
だって、彼らは次のように対応するのですから。

相手が自身の説の正しさを証明しようとした場合 ( 概ね世間一般の
了承を得ていると思われる大前提を基に、演繹法で証明している
つもりだったのですが。) には、それが何であれ、
常に一定の調子で、「 それがどうしました?」 と、呆れている様子を
強調した、非難を表明する疑問文だけを機械的に返し、
決して内容を汲もうとはしません。

それなら逆から証明するか、と思って、相手の理屈に反証を
挙げようとすると、これがまた御立派!
毎回、「 僕が何時その話をしましたか?していなかったですよね?
ああ!またお得意の妄想癖ですね!!」 を返してきます。

( つまり、例えば、彼らが今、空を飛ぶものが必ず 「 鳥 」 だと、
ぶち上げているとすると、
「 こうもりは? 」 「 蝶々は?」 と問うたりしようものなら、
「 こうもりと蝶の話は一切していなかった。妄想癖が出ていますよ!」
と、キチガイの証拠を見付けたと主張してくる訳です。 )

しかも、逆に自論の正しさの証明については、徹頭徹尾相手を
「 頭の不自由な人 」 とか、「 最低最悪の馬鹿ですね〜!」 等々の
文句を、ただ大量に書き連ねることに拠って、達成出来ると
信じ込んでいる様子で、
汚らしい、強い表現で、人を罵っては、「 論破した 」 「 論破した 」 と
大喜びしておりました ・・・ とさ!!

・・・ ってな具合です。 *- -)ノヽ△ポイッ

たはは〜 ・・・ 「 反証 」 の存在すら知らないんだ 〜! (^_^;)
ましてや、弁論術も、論理学も、いや ・・・ 一般常識とか
ついでに、当用漢字の一覧表も、頭の中に一切入ってない!


こういう論理展開っていうものが、苦々しくも、確実にこの世に
存在するんですよね〜。


勿論、わたしにこのような御立派な人々を

論破出来る知恵の持ち合わせは有りません。

つか、無くて幸い、

この先も、そう出来るようにはなるまいと

強く願っています!


まぁ、考え得る最良の策として、何とか推薦できるのは、
唯一、これ。 ↓  ↓  ↓


触らぬ神に畳いわし!


それしかないようですね。
ε- (^、^; ふぅ

 
          (。・_・。) う〜ん、彼らの 「 高水準 」 振りを考えると
          書いておくべきなんだろうなぁ ・・・ ?
          上の慣用句は冗談です。
          正しくは、触らぬ神に祟り無し!です。 ・・・ と!

                      ( 2006 / 07 / 21 )



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